10年振りに、幼なじみと会って話した。
おそらく、10年間連絡も取ってなかった。
行った大学だけは違ったものの、お互い実家通いだったので、なんだかんだ小学生から大学を卒業するまで、なんならバイト先まで同じという、腐れ縁のような関係だった。
その子は私が「普通」から道を踏み外してた小中学生時代も、自分の好きなように過ごして調子に乗ってた大学生時代も、今すぐ死にたかったどん底新卒時代も、全部知っている。
連絡を取らなくなったのは、お互い県外で働き始めた10年前あたりだったかなあ。
忙しくて自然と、と言いたいけど多分わたしが何となく返さなくなったんだと思う。
その時の私は、まあ今もだけど、今以上に今日の自分を殺さないようにするのに必死で、いつでも死にたいと思ってたから、誰相手でもLINEを送るだけ送ったり、何となく返せなくなったりを繰り返してた気がする。
そんなこんなで、10年の月日がすぎた。
今日の自分が生きてればそれでいい人生を送り続けて、10年。
その子のおばあちゃんの初盆で、久しぶりにその子のご実家にお邪魔した。
その子もそこにいた。
なんとなく。
なんとなく、会いづらくて、でもぎこちなく「久しぶりやねえ」って声かけてもらって。
おばあちゃんにご挨拶をして、落ち着いてその子の顔を見た時に出た私の一言が、
「生きてた?」
だった。
その言葉を発した時に、ああ、わたし、多分、その子に、「10年、私ちゃんと生きてたよ」って言いたいんだって思った。
その子が元気にしてること、わかってた。
だって、その子のお母さんとは、私同じところで働いているから話は聞いてた。
ていうか、「生きてた?」なんて聞きたいのはその子の方だと思った。
お互いの家族がいる中で「私生きてたよ」なんてそんなこと言えないから、だから、
「生きてた?」
って出てきた。
私ね、あの今すぐ死にたい毎日から、自分を殺さない毎日をちゃんと重ねて、10年も生きてたんだって、思った。
その子の大切な人の大事な日に、なんてことをって感じだけど。
ああ、10年も私生きてる。
今だって、早めに死ねたらいいなあって思ってる。
でも、今日まで、自分を頑張って生かしてきたのが10年にもなるんだって、その子の顔みたら細切れの毎日が繋がって10年なんだなって思って…
「ご飯とか、行こうよ」
そう言って、その日は別れた。
また明日から、今日の自分を生かすことに必死な細切れの毎日が始まる。
やっぱりさ、私は、「息してるだけでえらい」でもよくない?って。
「今日の自分を殺さない」って大真面目だけど数%の卑屈を含んでる私の人生の目標も、少しだけポジティブに思えた、そんな日になった。
生きてたよ、私。
生きてたね、お互い。
おわり。
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